ライブドアは、実に許し難い

企業の存在意義とは何か?大学の一般教養のケーザイ学では、雇用の創出および景気の高揚と大まかに教わる。

では、雇用創出と景気高揚のためには何が必要か?そしてそのために求められる企業の具体的な行動とは何か?

それは、事業の創出と維持である。事業が既にあるときは、維持になお注力することとなる。とはいえ、それでもさらに新規事業の機会をうかがい、機を見つつ投資・進出していくことが求められる。

それを、「企業戦略」と呼ぶ。

ライブドアが、純資産の処分の一環に 680 億円の配当を実施すると発表した。

戦略を持たない無様な企業の姿が、ここにある。この会社は、ホリエモンが逮捕・起訴されて以降、企業としての体をまるで成していないことが今回明るみになった。

少なくとも俺にとっては、ホリエモンとは尊敬に値する人物ではまったくない。ましてや経営者としてはなおさらである。東大に入学できるくらいの地頭の良さはたしかにあるのだろう。逆に言うならその程度の人物、すなわち経営の専門家たり得ない人物でしかないということだ。

ホリエモンが CEO を務めていた頃のライブドアが今よりもマシだったかと問われれば、俺はそれに“Yes”と答えることはできない。とはいえ、今の LDH はなおジリ貧であると捉えねばならない。

ホリエモンは、度重なる自社株分割を通じ、上場株の「コモディティ化」を果たした。先に挙げた彼の blog を読めば、今でも彼がそれを誇りに思っていることをうかがい知れる。

一方、俺にとってのそれは、資本市場を愚弄する、企業人として最もやってはいけない行為というオレオレ定義である。

今回の LDH の配当(「『現預金=流動資産』の取り崩し」と言った方が良いか)は、そんなホリエモンの罪を償う意味もあるのだろうとは容易に想像できる。もしかしたら、証券知識のまるで乏しい小学生や老人までもが投資したと言われるライブドアの現存株主は、手を叩いて喜んでいるのかもしれない。あるいは、どこかの外資投資銀行からなるライブドアの大株主(ホリエモンを除く)がほくそえんでいるのだろうか。

実に胸くそ悪い資本戦略、そして企業戦略である。いや、そんなもの、「戦略」があるとはとても思えない。オウム真理教によるサリン事件被害者への配当とはワケが違うのだ。

LDH は、その持てる豊富なキャッシュを新規事業に投資しつつ、これからの日本のインターネットの技術的な側面を陰日なたから支えていく立場となるべきだった。おそらくホリエモンも同様な主張をしていたはずだ。しかしながら、ホリエモン色を一掃するために技術集約型企業からの脱却を図ったとすれば、それは大きな誤りだった。

今の LDH に何が残っているというのか。少なくとも、次なるキャッシュを、それも今回の配当で吐き出した分を穴埋めできるほどのキャッシュをつくりだせる事業があるようには俺には見えない。

ここの役員は、ノンキに blog など書いている場合ではないはずだ。皆が力を合わせ、この経済危機を克服するとともにいかに新規事業を創出・維持していくかを真剣に考えねばならない。

LDH 株主は、もっときちんと彼らに意見すべきだ。もしかすると今回の配当は、手切金のようなものだったかもしれないからだ。ライブドア上場廃止になったときの悪夢を再び味わいたいはずがなかろう。

目を覚ましてほしい。日本のウェブだけでなく企業社会・資本社会が「残念」と、きいたふうな口を利く知ったかぶりの門外漢に再々嘆かれないためにも。